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澄んだ夜明けの空気が、シーツからはみ出した肩口をひやりと撫でる。カーテンの向こうはまだ真っ暗だ。

寒くはないけれど、なんだか首の回りがすーすーした感じがして、ナミは半分夢心地のまま、もぞもぞと腕を伸ばし、胸の辺りまで下がった布団を引っ張り上げようとした。

隣で眠る男の身体に接した側は、ゆったりと暖かくて夢のように気持ちいいのに、触れていない側が肌寂しく、もの足りない気がする。そのバランスの悪さがかえって気になって、ナミはゆっくりと心地よい眠りの中から浮かび上がってきた。

男の腕が邪魔になって、布団がうまく引っ張り上げられない。ナミが目を閉じたまま眉をひそめてごそごそしていると、隣の男が、んー、と唸り声をもらして、布団ごと抱き込むようにナミの身体を抱え直した。

どしっと重たい腕にすっぽりと包み込まれる、その重さがむしろ心地よい。暖かくて人臭い、ゾロの匂いが鼻孔を満たし、それがすっかりなじんだ匂いになっていることが、なんとなくくすぐったくて、ナミはすごく幸せな気持ちで、ゾロの胸に頬を擦りつけるように頭をもたせ直すと、その汗の香りをいとおしく感じながら、ふたたび眠りに落ちていった。



次に目が醒めた時、外はだいぶん明るくなっていた。きりっと冷たい、朝の空気が肌を刺す。

ゾロの部屋で目覚めたコトはまだ数えるほどしかなかったが、はじめてここで迎えた朝は柔らかな春の日ざしだったことを思えば、ふたりともなんて遠回りしてしまったのかしらと感じずにはいられない。
その時から半年が過ぎて、ゾロとこうしてまた一緒に朝を迎えることができるようになった幸せを、ナミは心から噛みしめていた。

お互い忙しい生活を送っているから、ゆっくりと恋人同士らしい時間をすごすこともなかなか出来ない。そのかわり、ゾロが出張でない夜は、出来るだけどちらかの部屋で寄り添って眠る。
部屋で原稿を仕上げたゾロが、明け方ナミの部屋を訪れることもあったし、ナミが一足先にゾロのベッドで眠り込んでしまうこともあった。

深夜、鍵をがちゃつかせて部屋に入ると、ゾロはまっすぐナミが寝ているベッドに向かって来る。 荷物をその辺に放り出すと、半分寝ぼけてふにゃふにゃしているナミの身体に覆いかぶさるように性急なキスを落とし、たいていそのまま身体を重ね、夢心地で何度か達したあと、朝まで寄り添ったままぐっすり眠るのが常だった。

ナミも翌日は仕事だし、朝は早いしシャワーも浴びたいしで、セックスのあとはなるべく自分の部屋に帰って眠ろうと思うのだが、どうしても身体が動かない。アラームを鳴らして起きようとしても、あまりにもゾロの腕の中が暖かくて寝心地がいいので、ついそのまま朝を迎えてしまう。
今ではもう自分でも、それで何か問題があるわけじゃなしと開き直って、絡みついてくるゾロの腕をかいくぐり、ベッドを抜け出そうとする努力を止めてしまった。

それでも、もうすぐ起きなければならない時間だ。ゾロの吐く暖かな寝息を耳許に感じながら、ナミはなごり惜しく身体を起こした。



ゾロの部屋で過ごす時間が増えて、ナミもだんだんその殺風景さに慣れては来たが、相変わらず何もない部屋だ。散らかる物が何もないので散らからないですんでいるといった感じで、とにかく目につくのは本や写真集、プリントアウトされた膨大な資料のファイル。それだけはある程度規則性をもって、棚やあるいは直接床の上に積み上げるように並べられていた。

やはり、旅行関係の書物が多い。そして、環境問題や自然保護活動に関するものも多かった。

そう言えば、このあいだゾロの帰りを待っていたとき、少し寒かったから肌掛けでもないかと思い、何気なく押し入れを開けてみて驚いた。

中には、写真集やDVD、ハードカバーなどの大判の書物が、ぎっしりと整理されて並んでいた。何度も読み込まれた感じのする、縁の黄ばんだ本を手に取ってみると、それは英語版の野生動物の写真集のようだった。表紙の写真がなんだか見たような気がすると思ったら、寝室の壁に飾られているペンギンのパネルと同じだった。

──これがきっと、ゾロのお仕事の一番大きなテーマなんだわ。いわゆるライフワーク、っていうのかしら。なんだかちょっと意外な感じがするけど、でも、すごくわかるような気もする。

ゾロってきっと、動物とか子どもとか、ああ見えて実はすごい好きなんだ──ナミは妙な確信を持って、そう思った。

夏にシロップ海岸にエースと行って、偶然会ったときだってそうだ。

現地のペンションの子どもたちに、エースは兄貴分として慕われていたけど、ゾロは最初からちょっと敬遠されていたっけ──でも、あの肝試しの時、最初はいかにもイヤイヤついて来てたゾロが、キャッキャと笑いながら逃げる子どもたちを追いかけて、一緒くたになって茂みから飛び出してきたんだもの。

もちろん、ゾロ自身はしごく真面目に追いかけていたのだけど、子どもたちはほとんど遊んでもらってるみたいに見えた。
子どもって、そういうところすごく敏感に察する生き物だものね。自然と子ども好きのする人に、懐いちゃうんだわ。

と、そこまで考えて、その直後に起こったエースのちょっとした悪戯のことを思い出し、ナミは眉をひそめた。

エースのことを思うと、まだ少し胸が痛む。

最後に二人で会って事実を知らせたあとも、エースはそれまでとちっとも変わらない、ちょっと軽くて茶目っ気のあるカッコいい上司であり続けている。それはエースの優しさであり、また矜持でもあるのだろうけど。

コビーやみんなと一緒に誘われて、お昼を食べたりした時も、表向きその態度はまったく変わっていない。だからコビーなどはいまだに、ナミとエースの関係を内心うたぐっている様子で、二人が話していると、デスクに向かいながら必死で耳をそばだてているのがわかる。

大丈夫なのよ、コビー、違うの──そう言って、勘違いを正してやりたい気持ちもあるけれど、でも本当はそんなことは大きな問題ではない。

今はただこうして、ゾロと二人で過ごす時間を、ずっと待ち続けてやっと手にした宝石みたいな時を、心から大事にしたいと思うのだった。



今朝はまだ少し時間がある。ゾロも昨夜は比較的早かったし、一緒に朝食を食べようと思い、ナミはいったん部屋に帰って出かける身支度をすませると、もう一度ゾロの部屋を訪れ、昨日準備しておいた簡単な朝食を暖め直した。

その前に、まだベッドで眠っているゾロに声をかける。

「ゾロ、起きて。ご飯食べるでしょう」
「──おう」

むくりと身を起こしたゾロは、その辺に引っかけてある服を拾い上げ、適当に身につけて、ぼんやりと目をこすりながらテーブルにやってきた。

「今日の予定は?」
「──んー」

ゾロは額をぽりぽり掻きながら、ふわあと大きなあくびをする。

「そうだな──もうちょい寝てから、編集部に顔出して、それから取材だ──多分、泊まりになるだろうな」
「ウソップと一緒なの?」
「ああ」

ナミはコーヒーをマグに注ぎ、パンにハチミツを落とした。ゾロは寝ぼけた顔のまま、大きな口を開けて、パンにかじりつく。

「そう、じゃあ明日遅くなるようだったら連絡してね」
「わあった」
「それから、今度の土曜のことだけど」
「土曜?」

ゾロがぼんやりと首を傾げたので、ナミは、んもぅ、と呆れたように言った。

「ゾロの誕生日でしょ?──忘れたの?」
「あ──いや。んなわけねえだろ」

口いっぱいに押し込んだパンを慌てて飲み込むと、ゾロはぶんぶんと首を振る。

「こないだ言ったとおり、ちゃんとお休み、取ってくれてるんでしょうね」
「ああ。一応、編集長にはそう言っといたけど」
「せっかくの誕生日なんだから、ゆっくりしたいのよ」
「わあってる」

ホントにわかってるのかどうなのか、ゾロはナミの用意した簡単な朝食を、いかにも美味そうに頬張っては飲み込む。その無心の作業を見ていると、それだけでナミの心は、なぜかぽっと暖かくなる。

しかし、のんびりとしている余裕はない。ナミはバッグを掴んで立ち上がった。

「それじゃ、もう行くね。おやすみなさい、ゾロ。今度は、携帯持ってくの忘れないでよね」

そう笑って舌を出すと、ゾロは片手にカップを持ったまま反対の手を伸ばして、背を向けようとしたナミの肩口を掴まえた。引き寄せられたナミは、自分も首をちょっと伸ばして、ゾロのくちづけを受ける──すばやく差し込まれた舌と一緒に、ブラックコーヒーの焦げたような苦みが流れこんできた。

離れ際にもう一度、唇を軽く合わせて睦みあう。

触れあった唇が、それだけで離れてくのが辛く思えるから、キスはいつも2回。いつのまにか、それが習慣になった。

肩を捉えたゾロの手が前に回りこまないうちに、ナミは急いで玄関に向かった。



バス停に向かう足どりも、自然と軽くなる。ゾロの部屋のドアから仕事に出かけるという事実をちょっぴりくすぐったく感じながら、そんな自分をあらためて幸せだと思った。

今度の土曜は、ゾロの誕生日だ──自分の誕生日を二人一緒に過ごすことは出来なかったから、今度こそ、恋人らしいバースデーを一緒にお祝いしたいとナミは思っていた。

そういうイベント事に一喜一憂するような年でもないし、ゾロと来たらそういうコトにはまったく無関心──っていうよりむしろ、めんどくさいって思うタイプだとわかっている。でも、やっぱり二人で過ごす初めてのバースデーは、なんだか特別な気がする。だからなんとかして、ゾロを喜ばせてあげたいと思う。ゾロが素直に喜んだ顔が、見てみたかった。

だから自然と、準備にも気合いが入る。

お祝いって言っても、なにも特別なことをするわけじゃなくて──そう、しゃれたレストランとかあか抜けたバーとかに行っても、ゾロがそれほど喜ばないことはもうわかってる。

旅先で凝った美味しいお料理を食べるのがお仕事だし、そういうのは飽き飽きしてる。普段からバラティエで特別美味しいものを食べさせて貰ってるから、妙に口が肥えちゃってるし、それなのにレストランは堅苦しいとか言って、あまり行きたがらない。

ゾロが一番好きなのは、のんびりと過ごす時間──日頃、時間に追われる毎日だからこそ、ナミがそばにいて、ゆっくりくつろいで、時々甘くじゃれあったり、思い出したように小さなキスを交わしたりする、そんな一日を過ごせたら、それが何より一番のごちそう。

と言っても、それがなかなか難しいんだけどね──バスに揺られながら、ナミは苦笑した。

二人の休日を合わせることだけでも一苦労だし。それに、私もそんなに家庭的なタイプじゃないから──恋人が出来たからって、いそいそと手料理作って待ってるような、そんな女じゃないんだもん。今日だってたまたま、自分が食べるついでにゾロに分けてあげただけで、当たり前のように私ばかりが毎日ご飯作るのなんてまっぴらだし。

──でも、たまにはイイわよね。だって、本当は私、お料理もすごく上手なんだもの。

せっかくの誕生日ぐらい腕をふるって、特別おいしい思いさせてあげても別に構わないわよね。それで、いつもと違う私の一面を知って、もう一度惚れ直すといいんだわ。

とびっきり美味しいご飯を、食べさせてあげるんだから──

そんな軽やかな思いをひとり巡らせていると、混雑したバスの中も、朝の雑踏も、なんだかばら色に輝いて見える気がした。



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このごろときどき編集部に、外国から電話がかかってくる。

相手は、だいたいいつも同じ女みたいだ。ゾロも2−3度、電話口に出たことがある。ニュージーランドの、なんとか言う大学の関係者らしい。スパスパ切れるような口ぶりで、早口の英語をしゃべる。

最近はボン・クレー以外の相手と英語で会話をしたことはなかったから、最初はかなりとまどったが、実際話してみれば相手の言ってることがほぼ理解できるので、今度は逆にそっちでびっくりしてしまった。



最初に電話に出たのは、ウソップだった。ちょうどゾロとふたり、連れだって昼飯に出かけようってところで、受話器を取るなり、ウソップは慌てふためいて叫んだ。

「はい、『onda azzurra』編集部です──って、どわっ、英語じゃねえかよ!、待ってくれ。えーとちょい待ってってのは──Waitだ、 Wait! Wait a minute!!、Please!!」

ウソップは受話器を抱えたまま、きょろきょろとあたりを見回した。しかし近くには、ゾロと自分の他に誰もいない。

「ゾロ、助けてくれー」

すがるような目線でこっちを見たウソップに、ゾロはしかたなく電話を変わった。

「Hello, can I help you? This is an onda azzurra-editorial department.(電話変わりました。『onda azzurra』編集部です)」

「Ah...I'm a secretery to the seminar of Environmental Studies, Waikato University in New-Zealand. So glad to hear you, I almost thought that none could speak English. And, you are....?(こちらは、ニュージーランドのワイカト大学環境学講座です。私は講座秘書のカリファ。よかった、英語が話せる人がいて。あなたは?)」

「Roronoa Zoro, the reporter.(ライターのロロノア・ゾロだ)」

「Oh, OK. Could I talk to Mr. Smoker?(そちらに、スモーカーはいるかしら)」

「Yes, hold on sedonds.(ああ、ちょっと待っててくれ)」

スモーカー編集長は、部屋の突き当たりの自分のデスクに両脚を上げ、葉巻をくわえたまま、器用にいびきをかいていた。ゾロは受話器を手で押さえ、大きな声で呼んだ。

「編集長、電話だ。ニュージーランド大学の秘書らしい──外人の女だぞ」

するとスモーカーは、突然がばりと起きあがった。ふいに眠気が覚めたような真面目な声で、「こっちに回せ」とひとこと怒鳴った。

そりゃ回すのはいいけど、大丈夫なのかあのおっさん、マジで英語しゃべれるのかよ──ゾロはいぶかりながらも編集長のデスクに電話を転送すると、ぽかんとしているウソップを促して部屋を出た。

閉まりかけたドアの向こうから、意外にもスモーカーの唇から流ちょうな英語が流れ出すのが聞こえた。

廊下に出たとたん、ウソップが頓狂な声を上げた。

「マジかよ。すっげえインターナショナルになったもんだなあ、うちの雑誌も──」
「ああ、外国から女が名指しで電話してくるなんて──あのおっさん、いったい何モンだ」
「しかし、まったく驚いたな」
「ああ、スモーカーが英語使えるなんて、思ってもみなかったぜ」

「まったくだ──けどゾロ、そりゃお前だって同じじゃねえかよ。ゾロのくせに、英語ペラペラしゃべりだしやがって、びっくりして腰が抜けちまうかと思ったぜ」

「イヤ、英語をバカにするもんじゃねえぞ。お前も少しは使えるようになっとかねえと、いつ海外出張の話が来るかもしれねえし、オレだっていっつもお前の通訳してやるのはゴメンだからな。オレのイカす英語教師、今度紹介するから行ってみろよ」

「イカす教師?──それってもしかして、女か?、ウマイ事ばっかしてっと、ナミに言いつけるぞ」
「違ぇよ!──て言っても、男でもねえな、ありゃ」

ゾロが思わず深く考え込むと、ウソップはワケわからねえと言わんばかりの顔で、二人揃っていつもの定食屋に向かった。

それが、つい2週間ほど前のことになるだろうか。



今日の午後、ゾロがあらためて編集部に顔を出すと、当のスモーカーに呼び止められた。

「おいゾロ、お前確かこないだ、今度の11日がどうしたとか言ってなかったか?」
「ああ、その日は一日休みを貰いてえって、言っといたはずだが」

「そうか。そりゃまずいな」

ゾロの答えに、スモーカーは一瞬考え込む様子を見せたが、すぐに思い直したように言った。

「ゾロ──悪いが、どうしてもはずせねえ用事が出来ちまってな。昼間ちょっとだけでも、ココに顔出してくれねえか」
「そりゃ構わねぇけど、何の用だ」
「それが、はっきりしたことはまだ言えねえんだが──」
「なんだよ、アンタにしちゃ珍しく、歯切れが悪ぃじゃねえか」

スモーカーはにやりと笑って言った。

「イヤ──本当にまだ、はっきり決まった話じゃねえんでな。しかし絶対、悪い話にはならないはずだ。必ず来いよ。わかったな」
「ああ、そんなに何度も念を押さんでも、俺がアンタの仕事を断ったことが、今まで一度でもあったかよ」
「そうだったな。それじゃあ、11日の正午に来い」
「わかった」

その時ちょうど、ウソップが部屋に入ってきた。ゾロはもう一度スモーカーにうなずいて見せると、このことをナミにどんなふうに伝えたら、一番穏便にコトが済むだろうかと思い悩みながら、ウソップと連れだって取材の車に乗り込んでいった。


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