9月 appasionato      - PAGE - 1 2 3 4
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一歩後ろに下がってはじめて、見えてくるものもある。

あるいは、立つ場所をぐるりと180度変えてみるのもいい。

そうしたら、ただ前に進もうとしゃにむにあがいているときには見えなかったものが、おぼろげな全体像をあらわすコトがある。

もちろん時には着実に前進することも必要だけれど、そういう冷静さを身につけてはじめて、一人前の職業人と言えるのではないかと、最近思うようになった。

自分にそのコトを教えてくれた人を、彼女はずっと尊敬し、敬愛していた。そして今は──




彼女は、編集部のある雑居ビルの階段を上がっていた。

ビル全体に空調が効いていないので、階段には熱がこもってムッと暑い。埃っぽい廊下を抜け、見慣れたドアをノックすると、返事を待たずに開けた。部屋の中の方が多少は涼しい。が、空気は白っぽく煙っていた。部屋の奥から大きな、今ではとても身近に感じられるようになった声が呼んだ。

「よう、たしぎ、早かったな」
「はい、スモーカーさん」
「急に呼び立ててすまなかった」
「いいんです。それよりも、例の本の版下、出来上がったのですね。早く見せてください」

たしぎは、スモーカーを呼ぶ声に甘さがにじまないよう努めて答えた。

今現在は編集部内には、自分とスモーカー編集長の二人しかいない。しかし、こういうことは日頃からきちんと気をつけていないと、思わぬ時にこぼれ出して、またきまりの悪い思いをしてしまう。



春に身体をこわして2ヶ月間入院した時、仕事に穴を開けるコトになって、どんなに悔しい思いをしたか、ひと言では言いあらわせない。
地道に下準備してきた取材旅行に、いざ出発しようとしたときに身体をこわすなんて──たしぎは無理やり担ぎ込まれた病室で、医者とスモーカーを相手に大立ち回りを演じた。

その取材に赴くための、長く地道な準備。きちんとした下調べと、綿密な計画。もともと自分のうっかりした性格を知り抜いているからこそ、今回は絶対にミスがないように念には念を入れた。

その挙げ句に無理を重ね、結果、肝臓を悪くすることになったのだ。
なんという皮肉。
焦りと怒り、悔しさに、起きあがることもやっとの身体で、たしぎはベッドの上で叫び、泣いた。

それをうまく収めてくれたのが、スモーカーだった。以前から頼りになる上司として尊敬していたが、たしぎの思いもすっかり理解してくれた上で、たしぎの納得がいくように手配してくれた。

歯ぎしりしたいような悔しさも、その大きな存在感ですっぽりと包み込んでくれた。入院中、何度も部屋を訪れては、焦る心を静めてくれた。傷ついたプライドも疲れた身体も、スモーカーがいたからこそこうして順調に回復することができたと感謝している。

2ヶ月の入院を経て無事退院した時には、その感謝の思いはしっかりと愛情にはぐくまれていたわけだが、今となってはなるべくしてこうなったと思わざるを得ない。
スモーカーのおかげで、自分の生き方は変わった。
がむしゃらに仕事に突っ走っているときには見えなかったものが、今の自分には見えている。これからは今まで以上に、落ち着いて充実した仕事をすることができるという自信があった。これはあの時、大きな仕事を手放した代わりに自分が得た財産だ。



あの時、苦渋の選択の中で、自分の代役として立てる人間だけは自分が決めさせて貰った。
適任と言える人物──それは、ロロノア・ゾロしかいなかったのだけれど、自分の意思で彼に依頼したかった。

彼があの仕事を引き受けてくれることは判っていた。ずっとライバルとしてしのぎを削っていたから、ロロノアにとっては渡りに船の依頼だということも知っていた。
実際、彼には少し荷が重いかもしれないと思いつつも、彼ならばと信頼して送り出したのだ。

そして、ロロノアは予想外にいい仕事をした。あの取材旅行をまとめた特集は、関係者の中でも非常に好評をはくした。そこでスモーカーの判断で、あらためて1冊の本の形をとって、出版されることになったのだ。

これは、ロロノア・ゾロにとってはじめての著作になる。

本来なら自分が書いていたかもしれない本になるが、たしぎは今はもう悔しいとは思わない。むしろ、ロロノアにはもっといい仕事が出来るに違いないという、漠とした予感がある。
同業者だからこそ、ライバルだからこそ、そして、今の自分だからこそ、たしぎにはわかる。

ロロノアのもつ仕事への熱意と才能が──そして彼がより大きな仕事をするためには、何が不足しているかということも。




スモーカーはデスクに足を乗せたまま、うすっぺらい包みを、そらよ、と無造作に投げて寄越した。たしぎは両手でしっかりと受け止め、デスクのパソコンでデータを開いた。まず、ざっと全体に目を通し、それから最初と最後の部分を、集中して一気に読んだ。

「うん、いいですね」

たしぎは、顔を上げて言った。

「とてもよくできている。文章の完成度も高いです──これなら誰にでも自信を持って、贈呈することができますね」
「ああ、そうだな」
「ほとんど時間もなかったというのに、さすがだわ、ロロノア」

たしぎのことばに、スモーカーはうなずいた。

「それなんだが、どうもロロノアの野郎、この話が正式に出る前から、これで一冊書くつもりで多少の準備はしていたようだ──それと」

スモーカーは立ち上がると、短くなった葉巻を、灰皿にぎゅっと押しつけて消した。
デスクの引き出しを開け、葉巻入れから一本取り出すと、モニターを見つめるたしぎのうしろに回り、新しい葉巻に火を点けながら言った。

「誰かさんの焚きつけも、相当効いたみたいだったがな、ん?」

肩越しに煙を吹きかけるように顔をのぞき込むスモーカーを、たしぎはきまり悪そうに睨みかえした。スモーカーはただ、面白そうに笑っている。

そう、あの時確かに、自分はロロノアを焚きつけた。

自分の代役を無事務めてくれたことへの、借りを返す意味もあった。
スモーカーの下で働く彼にいい仕事をしてもらって、スモーカーを助けたいという思惑もある。

しかし本当のことをいうと、実はいいものを持っているのに、それを活かすすべを持たない彼の不器用さを、惜しいと思ったのだ。
ただがむしゃらに張り合っているときにはわからなかった、彼の才能と欠点が、あの日のたしぎにははっきりと見えた。

たしぎの忠告を活かすことができるかどうか、それはロロノア次第だと思ったが──彼はそれをきちんと受け止め、こうしてひとつの形にして見せた。

あれは、先月。本を作ることが急遽決まって、休みを取っていたロロノアと一緒に、編集部に呼び出された日のことだった。




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海辺のペンションからほんの数時間──ひとりで車を走らせて帰ってきた街は、まるで別世界みたいに悲惨な場所に感じられた。

まあ多少というか予定外の寄り道もしちまったしで、このなぜかどうしてもやっちまういつもの回り道さえしなければ、街中からほんの2時間ほどの、あのこじんまりとして実に気持ちのいい海岸。
今回の思わぬ出来事で、ちっとケチがついたとも言えるが、それをさっぴいてもあそこは天国だ。

この、暑苦しい蒸し風呂みてえな、コンクリートに囲まれた現実の世界と比べりゃあな。
なにより今日のこの街には、ナミがいない──今朝、あのペンションで別れてきたばかりなのだから。

あのむかっ腹の立つナミの上司ってヤツも自分と同じ立場にいるわけで、それを思えば多少は溜飲が下がるが、それにしても、まっすぐアパートに帰ってナミのいない向かいの窓を見上げる気分にもなれず、ゾロの運転する車は、自然と会社に向かっていた。

お盆休みだからか、街は少しだけ閑散としていて、通りを走る車の量も少なめだ。

こうしてハンドルを握っていても、思うのはナミのことばかりだ──帰り道で迷ってしまったことをさっ引いても、ゾロの心は何とも言えない憮然とした思いに沈んだ。

それは、ナミをペンションに残して先に帰る残念さと、あのエースとかいうカッコつけた男に対する反感と、そしてなによりも、どうしてこう自分はなにもかも間が悪いんだという、誰にぶつけようもない憤りのせいだ──ゾロ自身にもよくわかっている。
わかっているけれど、どうしようもない。

出がけにウソップに、くれぐれも大事に扱ってくれよ、間違ってもぶつけたりしないでくれよと涙目で念を押されていたにもかかわらず、ゾロは思いきり車のアクセルを踏み込んだ。

キキーッと車輪を大きく軋ませて、車を編集部の駐車場に入れたところで携帯が鳴った。

とっさにナミかと思って、急いでバッグを探る──が、着信画面はスモーカーからの連絡であることを示している。
ゾロはがっくりしながら、通話ボタンを押した。



編集部の扉を開けると、来客用のソファーにスモーカーとたしぎが揃って座っていた。

なんでここに、たしぎがいるんだ──ゾロは少しムッとする。
もちろんたしぎもここのお抱え記者なのだから、いてもおかしくはない。ないが、こんな気分の時に、仲よさげに談笑する恋人同士の姿を見せられるのは、勘弁して欲しいというのが本音だ。

そんなゾロの気持ちにはお構いなく、スモーカーが珍しく機嫌良さげに言った。

「ああ、ロロノア。ちょうどよかった。休みなのにすまんな」
「かまわネェよ──どうせウソップの車を返しに来る用事もあったし」

たしぎもにこやかに話しかけてくる。

「お盆で田舎に帰っているのではなかったのですか?」
「いや、クニに帰っても親もいねえし」
「そうなんですか」

素っ気ない答えに、たしぎの表情がいぶかしげに曇った。

「そういえばロロノア、たしか取材帰りにウソップと、シロップ海岸のペンションに寄っていたんじゃなかったか?」
「確かにそうだが──編集長、あんたなんでそう地獄耳なんだ?」
「まあいろいろとな。バカンスはどうだった?」

にやりと笑うスモーカーをたしぎがさも頼もしげに見上げている。そんな二人を眺めていると、ゾロはおのれの腹の中のイライラのタネが、一段と大きくふくらんでくるのを感じた。

「別に──景色はいいが、特に楽しいコトもねえよ」
「そうか。お前はあそこを気に入ってると思っていたんだがな」

ゾロの口調に何か感じたのか、スモーカーはそこで世間話を切り上げ、すぐに本題に入った。

「早速だが、ゾロ、このあいだのヨーロッパ取材の特集記事のことだ」
「ああ、先月号の、『エコ・ツーリズム』の?」

ゾロの質問に、スモーカーはずばり答えた。

「そうだ、お前の書いた記事に予想外に反響があってな。専門家のあいだからも、もう少し突っこんだ内容を知りたいという問い合わせが来ている」

ゾロは何と言っていいかわからず黙っていた。スモーカーはかまわず続ける。

「お前さん自身、あの特集記事だけでは十分書ききれなかったこともあるんじゃないのか──どうだ、ゾロ、お前さえよければ、あの記事を骨子に、本を一冊書いてみないか?」

何だって?──とっさには、何を言われているのかわからなかった。ゾロはもう一度、その言葉を頭の中で繰り返した。

──本を書いてみないか?
自分の記事が本になる?──お前さえよければ?

よくないわけがねえだろう、願ってもない機会だ。
ゾロは腹に抱えた不機嫌の固まりが一気に消散し、代わりに、仕事への意欲がむくむくとわき上がってくるのを感じた。スモーカーの気分が変わらないうちに、急いで答えた。

「もちろんだ。もちろん、やらせてくれ」

ゾロが大きくうなずくと、スモーカーはさもあらんと笑った。

「そう言うと思ってな、たしぎを呼んでおいた。このあいだの取材はたしぎのコーディネートに寄るところが大きかったろう」
「ああ」

たしぎが何もかもセッティングをしてくれたからこそ、短い日程で大きな成果を残すことができたのは、ゾロ自身も認めるところだ。

「本の中にたしぎの名前も、何らかの形で入れるのが筋だと思うんだが──たしぎ、お前もこれがロロノアのキャリアになることに対して、不満はないな?」
「はい」

たしぎが言い、その後すぐに話題は、本の具体的な内容や規格に対する相談になった。




編集部をたしぎと二人で辞したのは、その日の夕方だった。スモーカーはまだ仕事があると言って残った。
ゾロは、二人が自分に遠慮しているんじゃないかといぶかしんだが、たしぎが歩いてバス通りへ向かうようなので、声をかけてみた。

「あんた、これからどうするんだ──俺はこれからウソップの車を返しに行かなきゃなんねえんだが、もしよかったらその辺まで送ってやるぜ?」

たしぎは一瞬、あっけに取られた。

「驚いた──あなたにそんな気配りをしてもらえるとは思いませんでした」

たしぎは本当に驚いたように言った。ゾロはムッとした。

「なんだ、失礼なヤツだな。乗るのか乗らねえのか」
「乗せてもらいます。それじゃあ駅まで」

たしぎは、さっさと助手席から乗り込んでくる。ゾロはイグニッションをひねりながら、おそるおそる訊いてみた。

「あの、お前──いいのかよ、スモーカーのおっさんと一緒に帰らなくても」

シートベルトを引っぱっていたたしぎの動きが、一瞬止まった。

「何のことですか?」
「わかってるんだよ、隠さなくても──っつうか、それで隠してるつもりなのかよ」
「──っ!」

顔を真っ赤にして黙ってしまったたしぎに、駅に向かって車を走らせながら言った。

「今回のことじゃあ、いろいろ恩を感じてるから言うんだが、あんなじゃバレバレだぜ。今さら隠す必要もネエと思うがな」
「なぜ──なぜ、わかったんです?」
「なぜって、何もかもだ。あんたがおっさんを見る態度とか、全部だ──もうみんなわかってると思うぜ」
「──そうですか」

赤くなって肩を落としたたしぎに、ゾロは励ますように言った。

「そんなにがっくりすんなよ。別に悪いことしてるワケじゃねえだろ。あんたのおかげで、この頃おっさんも丸くなったって噂だし、あんまりベタベタされるのは困るが、別に普通にしてるならいいじゃねえか。余計な気を使う必要もねえ」
「あ、ありがとう、ロロノア」

たしぎはようやく顔を上げ、しばらく黙っていたが、やがて思い切ったようにゾロに声をかけた。

「ロロノア──あなたのご忠告、感謝します。そのお礼というわけではありませんが、わたしからもひとつ、忠告と思って怒らないで聞いてくれますか?」
「あ、ああ──なんだ」

たしぎの改まった様子に、興味を引かれた。

「あなたの、足りないところについてです」
「俺の、足りないところ?」
「はい。あなたの仕事への熱意はわかっています。持ち上げるつもりはないけれど、あなたにはきちんとした理念もあるし、文才もある。今回の特集も、きっといい仕事をしてくれると信じていました」

たしぎはきっぱりとした口調で続けた。

「ただ、あなたには、欲がないと思います」

俺に、欲がない?──なんだそりゃ。ピンと来ねえな。俺にだって一人前に、欲ぐらいある。

「もちろん、あなたにも目標はあるのでしょう。でももう大人なのだから、欲しいものにやみくもにぶつかっていってもダメです。そして、欲しい欲しいとジタバタしているだけでもダメなのではないでしょうか」
「なんだよ、知ったふうな口ききやがって」

ゾロはカッとなった。俺がジタバタしているだけだって?、この女、偉そうに──言うじゃねえか。

「たとえば、あなたは自分にとって、一番足りないモノはなんだと思いますか?」
「語学力──かな」

ゾロが思わずつぶやくと、たたみかけるようにたしぎは言った。

「では、それを埋めるための努力を、あなたはなにかしていますか?」

ゾロは赤い顔をして、ぐっと詰まった。それを見たたしぎは、柔らかく微笑んで言った。

「いい英語の個人教師を知っています」

たしぎは手帳を取り出し、ナンバーをメモして破り取ると、コンソールの下に置いた。

「私もお世話になった方で、私たち記者は時間が不規則だということも、よく理解してくださっています。私からと言ってもらえれば、便宜を図ってくれると思います。明日にでも連絡しておきますから」

車が駅前の信号で停まると、たしぎは、ここでいいですと言ってドアを開けようとした。車を降りるその背中に、あわててゾロは声をかけた。

「たしぎ──恩に着る」
「差し出たことをして、気を悪くしないでほしいです。いい仕事をしてください」

たしぎは生真面目に言うと、トンとドアを閉めた。




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翌日、ゾロはずっとアパートの部屋にこもって、彼にとって処女作となる本の原稿をまとめていた。

あの記事は、彼にとって今までで一番大きな仕事だった。きちんとした形で残したくて、時間がある時に少しずつ必要なところを加筆していたので、全体の規格の大まかな流れはすでに形になっていた。
後はそれを、きちんとした原稿の形にまとめ上げるだけだ──と言っても、それがまた大変な作業なのだが。

だがこうしてパソコンに向かいながらもゾロは内心、窓のカーテンを開けて向かいの窓を覗きたい衝動と戦っていた。

あたりはすっかり暗くなっている。カーテンをきっちり閉めているせいで、向かいの様子はよくわからない。
しかし、カーテン越しに柔らかなあかりが、ほんのりとこぼれているような気がする。間違いなくナミはもう、部屋に帰ってきているだろう。

ナミに会いたい、声が聞きたい──ゾロはその正直な心の声を、かろうじてなだめすかしていた。

先ほどウソップから電話があり、ナミをマンションの前まで送り届けたことや、彼の車の無事を確認してホッとしたこと、カヤと別れるときにどんなに別れがたかったかことなど、いろいろ山ほどゴタクを聞かされたが、ゾロが聞きたかったのは、ナミが怒っていたか、沈んでいたか、どんなふうだったのか、それだけだった。

ウソップは、こんなふうに言っていた。

「あー、ナミか。いや、ゼンゼンご機嫌だったぜ。車の中でも、ずっとカヤとぺちゃくちゃしゃべり通しでよ、ちょっとぐらい遠慮して、寝たふりでもすりゃあいいのにと思わないでもなかったぜ。ああ、お前のことは別に何も──あ、いや、もちろん、あのエースってヤツのこともだ。オレさまが、親友のお前のためにだな、きちんとスジを正してやろうといろいろ尋ねたんだが、のれんに腕押しっつうか──なあゾロ、オレは思うんだがあの女、本当に気が強ぇよな。まあ、顔はカワイイしスタイルも抜群だが、ありゃあ、なかなか骨が折れる女だと思うぜ。しかもお前の前で言うのもナンだが、二股かけるような女じゃねえか。なあゾロ、お前、もう一回考え直したら──」

ぷつっ。

そこまで聞いたところで、ゾロは黙って、携帯を切った。

ウソップに言われるまでもない。そんなことは、わかっている。

ナミの激しい気性も、気の強さも、負けず嫌いで意地っ張りなことも、短気なことも、みんな知っている。

だが、一歩踏み込んだときに見せた、甘いほどのやわらかさと、はにかむような微笑みも、間違いなくナミだ。

キツイ売り言葉も、あまやかなはにかみも、シンの強さも、優しい心配りも。

くるくる変わる表情も、やわらかな胸の丸みも──みんな、ナミだ。

それを知ってしまった今は、もう、どうすることもできない。
ナミ以外の女なんて、欲しいとも思わない。

二股かけられてるなんぞと、思いたくもねえ。ましてやナミは、はっきり違うと言ったのだから。

ただ、すばやくナミの唇を奪った時の、あいつの勝ち誇った顔──思い出してもムカツク。あの時、とっさに手が出なかったのが、口惜しいぐらいだ。まあ、もし殴ってしまっていたら、あの場はもっと修羅場になっていただろうし、ナミのセリフで正直救われたと言えねえこともねえ。

──ナミはともかくあいつの方は、マジでナミを狙ってやがる。

どうやったら、あのご立派なナミの上司ってヤツの先を越せるのかなんて、オレにはわからねえ。とりあえずはまずナミに会って確かめたい。会いたいんだが、実際会って、いったいどう言ったらいいものか見当もつかねえ。

ゾロは、深くため息をついて、もう一度通りに面した窓を凝視した。頭をごりごりと掻きむしって、一、二度大きく左右に振ると、再びモニター画面に集中しようとした──が、だめだった。



あなたには欲がないと思います──昨日のたしぎの言葉が、頭の片隅をよぎる。

オレにだって、欲しいものならある──だけど、どうしたらいいんだ。

そう、じたばたしているだけじゃダメだとたしぎは言った。

ゾロは、さっきパソコンの脇に放り出した携帯を取り上げ、ナミの番号を表示させた。

思い切って通話ボタンを押そうとして、動きが止まる。



その時、手のひらの中で携帯が鳴りだした。
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